命どぅ宝 沖縄のいのり 沖縄のたたかい

 

2016.5.30.練馬文化センターにて
 

       

講師  平良修 牧師

 

プロフィール

たいら おさむ 日本キリスト教団牧師。 1931 年生まれ。東京神学大とアメリカのジョージ・ピーボディー大を卒業。1966年、沖縄キリスト教短期大学学長に就任し、日本復帰の激動期を生きる。同年11月2日、アンガー新高等弁務官就任式で「神よ、彼が最後の高等弁務官になりますように。この弁務官をして、沖縄100万市民の人権の前に、深く頭を下げさせてください」と祈り、全世界で話題になった。84歳の今も、毎週、辺野古の埋め立て反対の座り込みを続けている。

はじめに
 今日の集会に当たって、「命どぅ宝 沖縄の祈り 沖縄のたたかい」というスローガンが提示されましたが、この他に、講演のテーマを考えて欲しいという要望がありました。しかし、私はスローガンそのものが、講演のテーマとしてふさわしいと思ったので、それを講演のテーマにしていただきました。

日本人になりたくてもなれない
 日本人が日本人とはどういうものかということを知る切り口はいろいろあると思います。その一つが沖縄だと思います。沖縄という鏡に映したときに日本人がどう写るかも一つの切り口になると思います。
あなた方は“あなたは自分のことを日本人だと思いますか?”という質問を受けたことがありますか?
 この奇妙な質問が可能な場所が沖縄なのです。琉球大学・林泉忠准教授の調査結果(2007年)によると、沖縄の人に「あなたは自分をどこの国の人だと思いますか」という質問をすると、「沖縄人と答えた人が42%」、「日本人と答えた人は26%」、「沖縄人で日本人と答えた人が30%」でした。この状況はいまでもあまり変わらないと思います。日本社会の中で希有な社会だと思います。
なぜこのような奇妙な結果が出るのかということですが、以前沖縄の県知事をされていた西銘順治さんという方が、マスコミが「あなたにとって沖縄の心とはどういうものですか」と質問をしたことがあります。それに対して彼は「私にとって沖縄の心とは、日本人になりたくてなり切れないことだ」という複雑な答をしました。なぜそういう答が出てくるのでしょうか。これは西銘知事に限らず、輻輳(ふくそう)している沖縄人の正直な心理だと思います。
その理由を述べたいと思います。

その理由(1)

 NHKの「民謡を尋ねて」という番組は全国各地の民謡を紹介していますが、沖縄の民謡は本土の民謡とは全く違います。日本の民謡の解説では通らない特異性があります。言葉も違います。沖縄の言葉は方言という言い方はできません。原日本語というものがあって、現在の日本語と沖縄の言語に大別されたのだという見方があります。いわゆる共通語としての日本語の方言ではなく、沖縄独自の言語をなしているのです。そういう歴史的、文化的な大きな違いが日本人になりきれない大きな隔たりとなっています。こういう理由は素晴らしいと思うのです。北から南までみな同じでは淋しいと思います。文化の違いは日本文化を豊かにしているという誇りを持ってもいいと思うくらいです。

その理由(2)
 日本人になりたくてもなりきれないと思わせるもう一つの理由が、琉球処分(1879)に端を発した日本国内における植民地扱いです。日本国内にはたくさんの藩がありました。その藩を廃止、統合して新しい県に編成し直しましたね。廃藩置県です。それにならって琉球王国を沖縄県にしたのです。その前に琉球王国を、数年間は琉球藩にしていました。それから沖縄県にしたのですが、廃藩置県のつじつま合わせにすぎず、実際は琉球王国を滅ぼしたのです。別の国であった琉球王国を滅ぼしたのです。廃国置県又は廃琉置県です。  
 琉球王国が沖縄になってからは、不幸の連続です。それは今でも続いています。国内並に県という名称はついているけれども、植民地的な扱いです。沖縄は日本本土の利益のために存在しているという扱いです。沖縄は日本のためにあるという価値観です。それが定着しているのです。人々の心理としても、政治の具体的なあり方としても。こういうことに対する違和感、不信感、反発が大きくあります。
 沖縄が鹿児島以北の本土をどう呼ぶか、みなさん、どう呼ぶと思いますか。一番一般的なのは「ヤマト」という言い方です。ヤマトの国という小さな地名ではなく、日本全体を表すときに、ヤマトというのが一般的な表現です。その他に「本土」といういい方があります。鹿児島以北を本土というときは、面積が大きいからであって、そこを離れた小さいところは本土ではないということでしょうか。「本土」の持っている重たい価値と、離れている小島では価値が違うというのでしょうか。そのように価値観も含んでいるのでしょうか。「内地」という言い方もあります。戦後はそういう言い方はなくなりましたが、最近又復活してきています。沖縄は「外地」でしょうか。それから戦後沖縄が米軍統治下に置かれたときは、いわゆる本土から沖縄に旅行に来るときには、「日本」という呼び方をしていました。「他府県」という呼び方も沖縄では普通に行われました。
 でも、どの言い方もぴったりこないのです。違和感を感じるのです。この違和感は一体何なのでしょうか。
 私は日本国内植民地扱いをされた歴史が沖縄の人々に不信感を持たせているのだと申しましたが、それを説明いたします。

原琉球処分(第一次琉球処分)1879年 
 琉球王国が滅ぼされて沖縄県にされたことです。これを日本政府は琉球処分と呼んだのです。「処分」とは何でしょうか。皆さんはどういう時に処分という言葉を使いますか。ゴミ、価値のなくなったもの、捨ててもかまわないものを捨てるときに処分するといいます。退学処分など罰を与えるときにも処分といいます。沖縄は日本に対して価値のない存在でしょうか。違います。沖縄は長い歴史を通じて培われた高度の文化を持っています。環太平洋のたくさんの島の中で琉球ぐらいレベルの高い文化を生みだした国は無いと言われるくらい豊かな文化を持っています。処分されるような価値のないものではないのです。
 日本に対して悪いことをしましたか?それでも日本政府は琉球処分と称したのです。その仕事をさせられていたのが琉球処分官でした。何を処分しなければならないことが起こったのかというと、沖縄は中国と大変親しい間柄で、琉球王は中国の皇帝が任命するという関係でしたが、それを完全に中国から切り離して日本国に取り込むということですから、当然琉球から反発が出ます。そして多くの人々が助けを求めるために中国に渡りました。日本政府は行かせないために厳しい取り締まりを行いました。禁を破ったものを日本政府は当然処分するでしょう。でも自分の国が他国によって略奪されるときに、抵抗するのは当然でしょう。それを処分する正当性はありますか。琉球処分は100%日本の側の理屈です。
 琉球を滅ぼして沖縄県にしたことを、「原琉球処分」と私は呼んでいます。芥川賞作家の大城立裕さんが、新聞紙上で警告を発していました。この時期の琉球処分を第一次琉球処分という言い方が流行っているがそれは間違いである。それでは本物の琉球処分の陰が薄らいでしまうと言うのです。これは事の起こり、つまり日本国が琉球を滅ぼした原点なのです。それがあったがために第二、第三の琉球処分が出てきたのであって、押し並べて一次処分と呼べるものではない。これは原琉球処分と呼ぶべきではないかという問題提起をしました。

第二次琉球処分 1945年 
 いわゆる沖縄戦のことです。よく、沖縄戦のことを「日本国内での唯一の地上戦」という言い方をしますが、これは正確ではありません。沖縄戦の前に硫黄島で地上戦があり多くの日米両方の兵士が戦死しました。硫黄島は東京都の小笠原の島です。ロシア軍は樺太にもきていて地上戦がありました。沖縄は唯一の地上戦ではありませんが、たくさんの民間人を巻き込んだ地上戦だったのです。硫黄島では激しい戦いになることはわかっていましたから、殆どの住民を疎開させたので、日本軍兵士と米軍兵士の戦いでした。沖縄には何十万という民間人が残っていたのです。10万人ほどは南九州や台湾に疎開しました。私は台湾に疎開した組です。ですから沖縄戦そのものは体験していません。残っていた数十万の人々を巻き込んだ地上戦なので、死者の圧倒的多数は民間人だったのです。なぜ多数の民間人を巻き込むことになったかと言いますと、沖縄には32軍という約10万人ほどの日本軍が駐屯しました。32軍には使命がありました。米軍は沖縄の次にどこに向かうか、多分南九州であろう。次には千葉県の房総半島あたり、米軍には作戦名がつくられています。米軍はそのどちらかに来るだろうと予想されていたけれども、松代の大本営壕がまだ整っていなかった。そこで皇室と「本土」防衛のための時間かせぎが必要だったのです。沖縄戦では勝つことは目的にしていませんでした。だから、全員突撃と言って立ち向かい全滅するような作戦は取れませんでした。一人でも残ってたたかい続けなければならないというのが沖縄軍の指命だったのです。日本本土の捨石でした。これが沖縄戦の特質です。私はこれが第二の琉球処分だと思います。

第三次琉球処分 1952~1972年 
 アジア太平洋戦争は敗戦で終わり、日本全土が米軍統治下に置かれました。52年になって日本は独立を回復します。しかし、鹿児島以北は独立するけれども、沖縄と小笠原を引き続き米軍に預けるということにしたのです。つまり、日本本土の「担保」として沖縄は米軍統治下におきざりにされ、切り捨てられたのです。
 なぜそんなことができるのですか?日本は。同じ国民ではなかったのですか?日本の利益のためには易々と切り捨てる。利用できるそういう場所なんです。沖縄というところは。
 しかもこれには昭和天皇の働きも加わっているのです。昭和天皇は米国政府に対して「天皇メッセージ」(1947)を届けました。内容は「沖縄に対する米軍の占領はソ連の脅威に備えると共に、日本国内の治安維持にも重要で、アメリカと日本双方の利益にもなる。米国による琉球諸島の占領は、日本の主権を残したままで長期租借することが望ましい」というものです。沖縄をアメリカに預けることが、日本とアメリカの利益になるというのです。沖縄は元々主権はなかった場所なのに、なぜ主権を残すとしたのでしょうか。とにかく利用できるとして勝ち取った場所ですから、むざむざと放棄するのはもったいないことは確かです。日本に所有権が残っていれば将来また利用できる可能性があるわけです。だから主権を残したのだと私は想像しています。完全にアメリカに渡してしまったら、日本は利用できなくなってしまうではないですか。新しい憲法は天皇の政治的発言を禁止していますから、これは憲法違反です。でも誰も天皇を裁けませんね。おかしな国柄じゃないですか。日本政府は天皇が先に言ってくれたので、沖縄を切り離しやすかったのではないでしょうか。こうやって沖縄を切り離して、アメリカに預けたのです。それを条件にして日本の独立は回復されました。
 4月28日に日本政府はそれを記念するお祝いをしました。沖縄は歯ぎしりしましたよ。なんでこの日を祝うことができるんだと。この日のことを沖縄の人々は「屈辱の日」と呼んだのです。なぜ沖縄は差別されなければならないのかと。その日を日本政府は祝ったのです。

第四次琉球処分 1972年 
 沖縄の日本復帰が成就しました。沖縄の意志を無視した日本国への施政権返還(再併合)でした。沖縄の人々にはさまざまな選択肢がありました。一つは「このまま我慢するしかないだろう」という保守的な人々。「日本もイヤだ、アメリカもイヤだから独立しよう」という声もありました。元々沖縄は独立国家だったのだから、独立をして本来の姿を取り戻そうという呼びかけもあったのです。でもこの呼びかけはあまりにも日本化してしまっている沖縄の人々には響きませんでした。一番大きな流れは「日本国への復帰」です。命どぅ宝、命こそは宝というのが沖縄の人々の最大の価値観なのです。これは世界中が持つべき価値観だと私は信じています。しかし、その価値観に反する状況を沖縄戦で経験させられたわけです。無残な戦争を体験しています。だから平和憲法を持っている日本への復帰を望んだのです。
 ある年配の女性がバスの中でヤマトから来た青年と隣り合わせました。その女性は青年に「あんたは女の子みたいに長い髪型をしているね」と言ったそうです。青年は「おばあちゃんは男の人が長い髪をはやしているのはいやですか」と聞いたところ、「大好き」と答えたのだそうです。男性の丸坊主を見ると兵隊を思い出すからいやだと、この方が素晴らしいと言ったのだという話が残っています。いやというほど、沖縄の住民は、戦争の関わり、いやと言うほど苦しい思いをした沖縄戦の生き残りなんです。
 彼らを待ち受けていたのは米軍支配でした。戦後の沖縄は日本軍支配から米軍支配へのバトンタッチなのです。沖縄の人々は、国際政治の中で行われたこととは言え、どうにも納得できませんでした。だからなるべく早く米軍支配から離れたいという願望がありました。米軍と離れて、平和憲法下の日本に復帰したかったのです。日本復帰運動は教職員団体を中心に激しく起こりました。日本はたくさんのマイナス面を持っているけれども、平和憲法を持っている国だから日本に復帰したかったのです。戦争をしないからです。
 年々、反米意識が高まっていきました。コザ騒動といわれる事件などが起きました。これを放置すると米軍は働けなくなると日米両政府は考えました。日米安保体制の要は沖縄の米軍基地です。これが揺らぐことは困るのです。しかし揺らぎ始めている。何十台という米軍車両が焼き払われましたから。ここまで悪化している沖縄の住民感情を無視したらどこまで爆発するかわからない。米政府は、アメリカ支配はいやだと言っているのだから支配権を日本政府に移すことで基地を維持管理するという判断をしました。沖縄の人は「琉球民」という中途半端なものではなく、日本国民という肩書きになりました。しかし、内容は沖縄住民が希望したものとは全く違いました。沖縄の願いは、明白な反戦平和の理念に立つ平和憲法下での復帰だったのです。これが全てでした。
 それに対して日本政府は、日米安保体制の要である沖縄の米軍基地の維持管理を完璧にするという条件での復帰の引き取りです。日本政府は基地をそのまま残すことを強引に決めたのです。日本の国会もそれを承認しました。沖縄の知事が反対の署名を携えて陳情に行きましたが、羽田空港に着いた途端に日本の国会では、緊急動議が出て沖縄返還協定が批准されたのでした。

沖縄の北端の辺戸岬に「祖国復帰闘争碑」が建っています。その最後の方に「一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
 しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。」と沖縄の無念が刻まれています。失望と新たな決意の言葉です。

第五次琉球処分の現実(現在の沖縄)
 米軍基地が残されたまま沖縄は日本に戻され、現在に至っています。琉球処分の継続です。日米安保体制によって「構造的差別」状況にはめ込まれているのが沖縄の現状です。

1)なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのでしょうか。日米安保によってアメリカが要望すれば、日本国内どこにでも米軍基地を提供することが義務づけられています。しかし、沖縄に米軍の専用基地が集中しています。
沖縄は74%です。沖縄の面積は日本全土の0.6%しかありません。次は青森で7.7%、三沢基地があります。3位は神奈川5.9%、4位は東京4.3%、5位が山口の2.6%です。
 2位の青森の7.7%に比べて、沖縄は74%です。なぜ沖縄にこれだけ集中しているのでしょうか。沖縄返還の時、モートン・ハルペリンという国防省の高官が沖縄を視察に来ました。その報告書によると、彼はヘリコプターで上空から沖縄の米軍基地を視察して、その広さに驚き、現地の司令官に「何のためにこれほど広大な米軍基地をつくったのか」と質問をしています。質問された司令官は「あなたは誤解しています。私たちは沖縄に米軍基地をつくった覚えはありません。沖縄そのものが米軍基地なのです」と答えたのです。沖縄戦では一万人もの米兵が死んでいるのです。だから、米軍にとっては一万人の兵士の命と引き替えに勝ち取った戦利品なのです沖縄は。だからどう使おうと自分たちの勝手だという意識が働いているはずです。
 もう一つ、アメリカは、日本との戦争は終わったけれども、ソ連との冷戦に備えるためには米軍基地が必要です。マッカーサーは日本国憲法をつくって武装をしない、戦争をしないと決めました。マッカーサーの日本占領の目的は日本の非軍事化だったのです。しかしソ連という仮想敵国がいるわけです。それに備えなければならない。できれば日本ももう一度武装をしてソ連に向かって欲しいという本音があるのでしょうが、日本本土は憲法9条で縛られています。それで不気味な仮想敵国に備えるには沖縄の基地が必要なのです。そういう意味で、憲法9条は沖縄の犠牲の上で成り立っているのです。沖縄が74%もの基地を背負ってきたおかげで日本本土は軍隊を持つ必要がない状態に置かれてきたのです。
 みなさんそのことを知っておいてください。
 もう一つ、60年安保、70年安保の時、日本国民は非常に力強く反安保抵抗運動を展開しました。だから日本本土では米軍隊は安心しておれないと判断し、多くの米海兵隊を沖縄へ移駐させました。山梨県から、静岡県から、岐阜県から海兵隊を沖縄に移しました。沖縄に米軍基地が集中しているのは、日本政府の政策なのです。

2)日本全国の人口は約1億4千万ですが、沖縄の人口はその100分の1です。「100人の村」に例えたら、沖縄では1人の人間が74の米軍基地を担がされているのです。残りの26の基地を99人のヤマトの人たちで担いでいることになります。なぜこんなことが可能なのですか?

3)民主党政権の時に鳩山首相が、〝普天間の代替基地は最低でも沖縄県外に〟を公約しました。私たちは期待をしましたが、後で取り消しました。全国知事会で彼は米軍基地を公平に分担することを訴えたのですが、日米安保条約を必要と認めながらも、どこも沖縄の米軍基地の分担を引き受けようはしませんでした。例外的に大阪の知事が「引き受けます」と言いました。多分関西空港が赤字で困っていたから、米軍基地ができると何とかなると思ったのでしょう。でも2〜3日後に取り消しました。米軍基地がトラブルメーカーだということを知っているからです。住民も当然賛成しないでしょう。メリットがあるなら奪い合いをしますが、マイナスが大きいのを知っているからノーというのです。それを知っていながらなぜ沖縄にだけ押しつけるのですか?
 「悪いものは沖縄に!」、この状況を私たちはどう考えますか?

4)民主党政権の時、森本敏防衛大臣は“抑止力という点では米軍基地は沖縄でなくてもいい”と言いました。彼は軍事問題の専門家です。素人が言ったのではありません。しかし“政治的には沖縄がいい”と続けました。沖縄は元々日本ではなかったから、どこかに「よそ者意識」が残っているのでしょう。それが日本政府の本音、日本政府の対沖縄政治の本質です。日本国民もそれに慣れているのです。国民もそれをよしとしているのです。

5)沖縄は全市町村が42箇所ありますが、その長が集まり、県議会の全議員が集まって日本政府に「辺野古移転に反対する建白書」を届けました。しかし。官房長官は、陳情書を受けとったような見解を発表しました。全県挙げての日本政府への建白書は単なる陳情書ではありません。通らなくてもかまわないような軽いものではないのです。建白書というのは命がけの切羽詰まった陳情なのです。足尾銅山の公害の時に田中正造が明治天皇に建白書を出しました。直訴です。彼は捉えられて直訴は成功しませんでした。その行動は命がけだったと思います。建白書というのはそのくらいの重みを持っているのです。この意識の差は何なのでしょうか。

6)米軍基地によって沖縄経済は潤っているという誤解があります。高知県知事が「沖縄県民は本音のところでは基地を歓迎しているのではないか」と言ったことがあります。高知県は貧乏県で、沖縄と最下位を争っています。だから沖縄がうらやましいと言ったのです。とんでもありません。米軍基地は生産しません。基地を解放して民間が活用すれば何十倍もの利益になるのです。沖縄は米軍基地があるおかげで潤うどころか大欠損をしているのです。

7)沖縄は意志に反して、攻撃基地の側に立たされています。加害者にさせられているという痛みが沖縄にはあるのです。かつて経験したあの痛みを誰にも経験して欲しくないのです沖縄は。沖縄は力が足りないために米軍の攻撃を阻止できずにいるのです。ベトナム戦争の時、沖縄は「悪魔の島」と呼ばれたそうです。ベトナムを訪れたときに、米軍の落とした爆撃によって空いた大きな穴のところでベトナムの人からそう言われたのですが、その時、私は米軍の爆撃行為を止めきれなかったことを心から謝罪しました。苦しんだ人は優しいです。「米軍機は沖縄からだけ来たのではありませんよ。フィリピンからも来ましたよ」と慰めてくれたのでした。加害者にさせられるという被害を沖縄は持っているのです。極めて深刻な問題です。

8)「男はつらいよ」の主人公「寅さん」が沖縄を訪問するという映画がありました。沖縄の病院に入院している寅さんの愛する女性を見舞うために沖縄に行くという設定です。那覇空港からバスで北に向かって行くのですが、バスは中部の何キロも続く米軍基地の金網沿いを走っていきますが、その間中彼は寝ていました。朝日新聞の論説員が「なぜあなたの寅さんは基地の間中寝ていたのですか」と質問すると、監督は「寅はバカだからね」と答えます。沖縄にとって日本人はバカになって欲しくない。皆さんがそうなったら沖縄は悲しいです。寅さんはバカだと監督は言うけれど、案外彼は処世術に長けた人なのかも知れません。見てしまったら辛くなるから、何かしたくなるかも知れない。でもめんどくさい。見ない振りをしていれば重荷を感じることもなければ、重荷を担ぐ必要もないからです。沖縄のことをまともに考えたらまともな日本人だったら苦しくなるはずです。
 大江健三郎氏の書かれた『沖縄ノート』に、「日本人とは何か、このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか」という言葉を彼は新書版の中で17回もくり返しています。私はこの言葉に慰められます。圧倒的多数の日本人が大江さんと同じような気持ちを持ったなら、沖縄は救われるのではないかという思いがあります。

9)米軍統治時代、沖縄は大統領の代理人である高等弁務官が支配していました。第5代高等弁務官アンガー中将の就任式(1966)に、私は牧師として呼ばれ、祝福の祈りを頼まれました。そこに出ていくことに対して「断るべきだ」と批判をされました。しかし私は敵陣に乗り込まなければ、いい戦いはできないと覚悟を決めたから出て行きました。私は“神よ、願わくは世界に一日も早く平和が築き上げられ、新高等弁務官が最後の高等弁務官になり、沖縄が本来の正常な状態に回復させられますように、切に祈ります。~”と祈りました。祈りは大変なセンセーションを巻き起こしました。
 その時に言った私の言葉「沖縄の本来の正常な状態」とは、「日本国沖縄県」が回復された状態のことです。米国なのか日本なのかわからない琉球という名前をつけられた沖縄が、平和憲法を持った新しい日本の国に回復されることが私の願いでした。ですから圧倒的に沖縄住民の支持を受けました。
 しかし、沖縄が望んでいた日本という国は沖縄の望んだ国とはまるで違う国でした。ですから沖縄は憲法9条を守って欲しいという激しい願望を持っているわけです。その日本国が憲法9条を捨てようとしている。日本が憲法9条を守り切れないのであれば、私たちが憲法をもらい受けて、日本から離れようという空気が沖縄にはあります。

10)平成の合併ということで市町村合併が行われましたが、次に都道府県の合併として「道州制」という問題があります。その中で、沖縄を含む「九州州」という話があるのですが、沖縄は反対の提言をしています。2009年、沖縄を特別自治州、他の県にはない特別な権限を付与された「特例型単独州」を要求することを、沖縄道州制懇話会は考えています。すぐに独立というのは無理があるから、まず日本国内に沖縄の特別な状態のあり方を浸透させる。国民が特別自治区に賛成する空気をつくっていく。世界に呼びかけ、国連の了解をもらうという手続きを踏む必要があるのではないかと研究者たちは考えているのです。

11)2013.5.15沖縄はついに、「琉球民族独立総合研究学会」を設立しました。独立を研究する学会で、設立は初めてのことです。私もこの会の会員です。

12)以前から、女性グループが沖縄の米軍基地をヤマトに引き取ってもらおうという運動をしてきました。一方、最近、大阪をはじめ何カ所から沖縄米軍基地を引き受けようという運動が起こり始めています。それに対して沖縄の中でさまざまな論争があります。
 一つは、基地というのは、戦争と破壊を目的にするものであるから、基地はどこにあってもいけない。沖縄にあるからいけないのではない。日本にあれば良いというものでもない。それは我々の理想に反する。ところが、最近はヤマトの方から引き受けようという。それは沖縄戦の生き残りの方が減って、なまなましい体験を語る人がいなくなっていくために、戦争というものの犯罪性を証言する力が弱まっているからではないか。二代三代では追体験でしかない。だから基地を本土に移すということも考え易くなっているのではないか。沖縄戦の「死」というものに関する感覚が鈍っている証拠ではないかという批判があるのです。
 圧倒的な日本人は「日米安保条約」は必要と考えています。だから日本国内に米軍基地があることが許されているわけです。「日米安保条約」を承認しており、その結果米軍基地が置かれているのです。その中心が沖縄なのです。日本本土から離れているからやり易いのです。見えないからです。実際に基地が移ってはじめて本当の姿が見えるのです。だからそれは荒療治です。その荒療治をしなければ日本国民は目が覚めないのではないかということで出てきたのが、「本土に基地を移転する」という意見です。ですから、引き受けようという側も、引き取って欲しいという側も、荒療治であることを承知の上で言っているのです。そういう状況があるということを覚えていてください。

13)辺野古闘争について
・翁長雄志沖縄県知事は、自民党の沖縄県連の幹事長をしたこともあるような自民党人なのですが、今の沖縄の状況を座視はできない人です。ですから皆さんご承知の通り、日米両政府に真っ向から抵抗をしています。あまりにも日本政府の沖縄に対する心のなさに憤っているのです。政府は「沖縄に寄り添います」という言葉を繰り返し使いますが、どこで寄り添っているのですか?まったく言葉の乱用です。だから彼は最近沖縄色を濃厚に出します。日本人的な感覚では沖縄は勝てない、徹底的に生の沖縄の感覚でしかこの戦いには勝てないと覚悟しているのでしょう。 “ウチナーンチュ ウシェーテーナイビランドー”と言います。「沖縄の人間を馬鹿にしていけませんよ」という意味です。これは公の場所での彼の公言です。最近は“沖縄県民の魂の飢餓感”という言葉を使っています。沖縄は日本政府と日本政府を支えている人々に対して魂の飢えを覚えるというのです。“魂の飢餓感”という言葉をしきりに使います。
 みなさんこういう訴えに、丁寧に耳を傾け、心にとめて欲しい。

 多くの若者が献身的に辺野古に来ます。なけなしの時間を使い、お金を使い、体力を使い、時には怪我をさせられるかもしれない。死んでしまうかもしれないような危険なところに身を投じています。夜もゲートの側の仮テントで寝泊まりをしているのです。本当にありがたいです。そういう献身的な行為に対しては心から感謝をしながらも、言いたいことがあるのです。それは「辺野古は一つの発火点に過ぎない」ということなのです。底辺には「日米安保条約」という火山脈があるのです。日米安保が形となって一番現れているのが沖縄なのです。74%も沖縄に基地があるのですから。火山脈が消えない限り沖縄の基地は残ります。発火した一点に集中しても埒があかない。元になっている日米安保を破棄することができますか? 日米安保に身を挺して反対していますか?日本国民の国論が日米安保に反対するまでの国民運動を展開できますか?
日米安保反対運動を真剣になって起こしてください。

・沖縄を国内植民地的な感覚で、良くないものは沖縄に預かってもらえばいいという感覚、それと無関心が政治に現れているという状況が続いています。この状況を変えなければ辺野古の基地はなくならないのです。辺野古の発火点に集まるだけでは問題は解決しません。
 意識的・無意識的に「沖縄は本土のためにある」という沖縄観を日本人が持っている限り、辺野古の問題は解決しません。そういう沖縄観を打破出来ますか?
    
7.沖縄の祈り
 沖縄は現在不本意ながら「太平洋の軍事的要石」として位置付けられています。沖縄が望んでいるのは昔からそうであったように、「万国津梁(ばんこくしんりょう)」、つまり万国の共存共栄の交わりの橋渡し役なのです。沖縄の歴史の特色は「万国津梁」なのです。沖縄は太平洋の軍事的要石としての歴史を辿ったことはありませんし、それは沖縄の本質に合いません。象徴的に言えば、ヤマトでは床の間に日本刀を飾るということがあると思うのですが、沖縄は三線を飾るのです。三線を飾って日本刀を飾らないというのが私たちの願望なのです。だから、みなさんの力で「太平洋の軍事的要石」を脱却して、「万国津梁」という本来の姿に戻りたいというのが、沖縄の将来像です。     
                              (完) 文責小沼